「一日一日を充実させる洋服を」。〈TODAYFUL〉ディレクター・吉田怜香がブランドに込めた想いとは 前編

記憶を辿り自らの言葉で語る。クリエイターのこれまでとこれから。


オリジナルファッションブランドやライフスタイルショップを手掛けるディレクター・吉田怜香さんにインタビュー。アパレル業界に踏み込んだきっかけからブランド立ち上げに至るまでの経緯、大切にし続けている想いや信念など、前後編に分けてたっぷりお届け。後編はこちらから。

充実した一日が積み重なり人生となる

オリジナルブランド『TODAYFUL』、ライフスタイルショップ『Life’s』ディレクターである吉田怜香さんは飾らない言葉で振り返る。いつだって等身大なアンサーは、すんなりと私たちの心に落ちてくる。

「TODAYFULに込めた想いは、その言葉のままです。一日一日を充実させる洋服であること。そして、その充実した一日が積み重なって、日常や人生という結果になる。そういう意味でブランドを取り扱うお店には、より大きな枠で捉えたLife’sという名前をつけました。はじめに自分の店を持つと決意した時から、店舗自体の名前と洋服のブランドの名前はそれぞれ分けてつけようと思っていたんです。その時すでに、自分のブランドの洋服だけではなく、器や雑貨なども取り扱うセレクトショップにしたいと考えていて、それならばメインで扱う自分の洋服のブランド名と店名とは別の名前である必要があったんです」

今を生きる女性たちに寄り添うような心地よく洗練された洋服、日々の暮らしをほんの少し豊かにするプロダクト、そしてその審美眼を持つ吉田さんに憧れ、共感する者はきっと多い。では彼女自身の人生はいったいどのようなものだったのだろう。

「物心ついた頃からすでにファッションに興味があったし、好きでした。小学校高学年になった頃とか。世代的にSPEED(ダンス&ボーカルグループ)全盛期だったから、当時彼女たちが着ていたようなTシャツにハーフパンツみたいなスタイルを真似してみたり、同じ小学校の年上のちょっとおませなお姉さんたちが着ているような服を羨ましく思ったり。でも振り返れば、すでに家族構成の中で影響は受けていたと思います。私が6歳くらいの時に両親が離婚して、父と兄と3人で暮らしていたので、女性向けの小物や洋服が自分のもの以外は家になかったんです。お姉ちゃんのおさがりとか、お母さんのバッグやコスメとか。若い頃ってそういうのをこっそり借りて背伸びしたりするものじゃないですか。私が借りられるのは、父のデニムジャケットとか兄が好んでいる古着とか、自分には大きいメンズの服ばかりだった。でもそれが、今でもマニッシュな雰囲気の服に惹かれたり、オーバーシルエットが落ち着く理由なんだと思います。“それしかなかった”という経験が影響しているんですよね、きっと。やはり昔からお洒落することは好きで、早いうちにメイクに興味があったり、おませ気味な子だったと思う。中高生になると、関西出身なので、梅田のファッションビルに友人と行くたびに、ショップ店員のお姉さん可愛いな、私もいつかああやって可愛くお洒落して店頭に立ちたいな、と憧れていました。どちらかと言うと青文字系ではなくViViやギャル雑誌を読んでましたね。当時の情報源って雑誌だったから、毎月たくさんチェックしていました。今みたいにナチュラルメイクがトレンドではなくて、しっかり盛る時代で、自分もメイクはかなり濃かったですね。ただ、ヘアメイクはギャルっぽいけど、着ている服は兄の影響を受けて古着だったりしたので、自然とミックスされたそのバランスが自分らしいスタイルになっていったのかと。のちにディレクターを務めるUngridというブランドにも反映されていたように思いますし、今のTODAYFULの普遍的なサイジングやシルエットにも繋がっている気がします」

“吉田怜香らしさ”が確立するとき

Ungridでのディレクター2年間を経て、今のブランドの立ち上げへと繋がるわけだが、アパレル業界に足を踏み入れたきっかけはどのようなものだったのか。

「大学に入り時間ができて、アルバイトをしようという時に、大好きだった神戸のセレクトショップで働きたいなと思って応募したのがはじまりです。念願のショップ店員への一歩をやっと踏み出せるかどうかのチャンスなので、とてもドキドキしたのを覚えています。LAのインポートブランドとドメスティックブランドどちらもセレクトする路面店で、当時の私にとっては、高価な洋服が多く、行けばいつも好みのテイストの服が置いてあるんですけど、自分では買えないので、たまに父親を連れていって買ってもらう、みたいな背伸びするお店でした。こんな空間で可愛い服に囲まれて働けたら最高だ……と思っていたし、実際とても楽しく、それから大学卒業後も含めて、4~5年ほど働かせていただきました。今でこそロンハーマンとか、西海岸テイストのショップが普及したけれど、当時の神戸にはああいったLAカジュアルとか、ラフな雰囲気のお店はまだあまりなくて。そのセレクトショップで働いたことで、自分はこういうラフなテイストが好きだってあらためて気づいたんです。ヒールのパンプスも好きだけど、エンジニアブーツとかメンズっぽいものをミックスするのがもっと好き!って、自分らしいスタイルが明確になったというか。女性としても“可愛い”より“かっこいい”ほうが落ち着くな、だったり。そのショップでは、わりとすぐにいろいろなことをやらせていただきました。接客でお客様に似合う服を提案するのはもちろん、マネキンを組んだり、店のディスプレイを日々変えたりするのがとても楽しくて、好きな仕事でしたね。スタイリングのセンスなどはそこで磨かれたと思います」

アパレル業界のキャリアの序章とともに、“吉田怜香”としてのインフルエンス力が高まっていったのもこの頃のこと。現在も吉田さんのオンラインコミュニティ『Ours.』には、たくさんのファンが注目している。

「物を書いたり、自分のことを発信するのも元々好きだったんです。自己顕示欲が強いのかもしれないな、と思いますが(笑)。でも、ブロガーとかインフルエンサーになりたいとか、仕事だからSNSやらなくちゃとか思ったことは全然なくて。根がミーハーだから、mixiだったり、ブログだったり、流行ってるものはやってみたいって軽い気持ちで始めて。当時ブログに書いていた内容なんて、学校でのこととか、彼氏と喧嘩したとか、本当にたわいもない日常。でも私の中では今やっているInstagramも、仕事ではなくてその延長なんです。書くことで自分の気持ちを整理したり言葉で表現するのが好きなんでしょうね。今でもオンラインコミュニティ『Ours.』ではコンテンツの一つとして育児日記を綴っています。当時から日常の出来事と共に、ショップ店員なので日々のコーディネートを撮ってアップしたり、ViViの読者モデルとして誌面に出ていたこともあって、だんだんと知ってもらえる機会が増えていったように思います。読モになったのは、大学の帰り道にスカウトしていただいたのがきっかけ。今より雑誌の影響も大きかったし、声をかけていただいて素直に嬉しかったですね。読モとしての活動とブログで徐々に関西で有名になったことが、大学を卒業するあたりでブランドを出しませんかと声をかけてもらうことに繋がりました」

後編はこちらから

吉田怜香

1987年、兵庫県生まれ。オリジナルブランド『TODAYFUL』兼ライフスタイルショップ『Life’s』ディレクター。オンラインコミュニティサロン『Ours.』主催。ファッションだけでなく、ビューティやライフスタイルについての洗練された情報やセンスに溢れた発信が支持を集める。


Text: TOKO TOGASHI

こちらの情報は『CYAN ISSUE 40 S/S 2024』に掲載された内容を再編集したものです。