CYAN Special Interview / 資生堂 ヘアメイクアップアーティスト 阿保麻都香
01 Nov 2024
CYAN ISSUE 41 A/Wの誌面で手がけた、トレンド感を纏ったクリーンでエッジーなヘアメイクがCYANのスタッフや読者のハートを鷲づかみ。資生堂ヘアメイクアップアーティスト 阿保麻都香(アボマドカ)さんの、憧れの現実化と成長のストーリー。
創作に関わる全員の想いを、表現できる存在でいたい
資生堂には、約40名のヘアメイクアップアーティストがビューティークリエイションセンターという部門に所属しており、資生堂グループブランドの宣伝広告をはじめ、パリ、NY、東京などで開催されるファッションショーでヘアメイクを一手に担っている。撮影やショー以外に、メイクアップ製品のカラークリエーションやビューティトレンドの研究にも従事し、常にフレッシュな表現をグローバルに発信している精鋭集団で、阿保さんはそのうちの一人。
所属アーティストは、資生堂が運営するヘアメイクスクールSABFA(サブファ)で講師を経験するというのも、国内では類を見ないケース。そのような豊かな経験を糧に、ビューティー業界から熱く注目を集めるようになった阿保さんは、どんな子供時代を過ごしていたのだろうか。
「小学校の時から、男の子と走り回って遊ぶような活発なタイプでした。ただその一方で、ヘアメイクへの興味は強くありましたね。母に髪を結んでもらっても納得いかなくて自分でやり直したり、逆に母の髪の毛にいっぱいコームを挿して絡ませちゃったり、小学校低学年の頃はとくに髪をいじるのが大好きでした。小学校の卒業文集には、もう将来の夢はヘアメイクアップアーティストと書いていて。でも、まだその頃はただそのワードを言いたかっただけで、どんな作業をするかまでイメージ出来ていなかったと思います。ただ、当時はカリスマ美容師というブームもあった中で、なぜか髪を切る美容師さんより、テレビや雑誌に出ている人を可愛くする人=ヘアメイクアップアーティストという職業に惹かれていきました」
中学校卒業時には「資生堂ヘアメイクアップアーティストになる」という意思がもう固まっていた阿保さん。迷いなき目標設定のきっかけとなったのは、一冊の本。
「小中学生の時、母親が資生堂の専門店で働いていたんです。そこで、資生堂美容技術専門学校の専務理事であるマサ大竹さんのメイクアップの作品集を見つけて。こういうお仕事を、私はやってみたい!と親に話して、資生堂美容技術専門学校にどうしたら資生堂ヘアメイクアップアーティストになれますか?って問い合わせました。すると、まずは高校を卒業して、それから資生堂美容技術専門学校に入って優秀ならばなれますよ、と教えてもらえたんです」
スポーツで鍛えた精神力が一気に花開いた美容学校時代
“ヘアメイクアップアーティストになりたい”から、“資生堂ヘアメイクアップアーティストになりたい”へ。軸はブレずに、具体性が増した夢のカタチは高校生活でさらに変容を遂げた?
それが、とにかく高校を卒業しないことには次の扉が開かないこともあり、振り切って寮のある高校に入って中学から続けていたソフトテニスに明け暮れていました。いわゆるJKを楽しみたい気持ちもありましたが、いっそ地元から離れたスポーツ校で厳しい経験をしてから、華やかな世界に行こう!と心に決めて」
ソフトテニスでは、インターハイ出場まで経験。しかしながら体力とセンスの限界を感じ、やり込むことで見えてくる壁があることも知った。
「振り返れば良い思い出ですが、将来何があってもあの体育会生活よりしんどいことってないだろうな、と思っています。30代で2回の出産を経験していますが、私の場合はスピード安産だったという事もあり、心身の鍛錬という意味では出産の方が楽だったと思えるくらい。スポーツを通じて、自分の頑張りや満足度のボーダーラインを捉えられたことは、現在も仕事をする上で役立っていますね」
練習と合宿費用を捻出するためのバイトで、夏休みと冬休みは計5日もなかった高校時代。それでも前向きに過ごせたのは、この先に憧れてやまないビューティーの世界が待っているという想いがあったから。とはいえ、資生堂美容技術専門学校に在学している間に国家試験を受けて美容師免許を取っても、資生堂ヘアメイクアップアーティストになれるのは若干名のみ。
「高校時代を思えば、資生堂美容技術専門学校に入ってからの学びは、微塵も厳しさを感じなくて。その華やかさも、技術を覚えられることも、ただただ楽しかったです。ビューティークリエイションセンターに入るための試験は、美容学校2年生の時にあります。そこで合格した4〜5名が、当時ビューティクリエイションセンターの地下にあったヘアサロンで働くことが出来ました。そこからさらに1年後にまた試験があって、最終的に残った1〜2名がサロンワークをしながら、資生堂ヘアメイクアップアーティストの撮影にアシスタントとして少しずつ連れていってもらえるようになるんです」
専門学校2年生の時は20歳。もし落ちてもまだどうにでもなると、スポーツで培ったバイタリティで狭き門をくぐり抜けた。
「サロンが閉業した現在では、私が経験した入社ルートはもう鉄板ではなくなりましたが、基本的にビューティークリエイションセンターへの入り方としては、美容師免許のあるヘアメイクアップスクールSABFA(サブファ)の卒業生が試験を受けて、というルートです※」。※採用試験は毎年必ず実施されているわけではありません。
アジア女性の魅力に気づいたきっかけは、90年代の邦楽シーン
資生堂ヘアメイクアップアーティストになる、という願望が成就した20代前半。海外に憧れを抱く瞬間は全くなかったのだろうか。
「20代の頃は、青年海外協力隊のポスターを見かけたりすると、一度は海外に出てみるべき?と自問することはありました。ですが、私が小学生の時にとても影響を受けたのは90年代の邦楽。PUFFY、SPEED、安室ちゃん、みんなオリジナリティがあって、何よりヘアメイクでよりキャラクターが際立っていたというか。初めて写真集を買ったのもPUFFYで、チリチリにパーマをかけたツインテールがめちゃくちゃ可愛い!と思ったんです。2000年代からはKポップも盛り上がってきて、今だとnew jeansとか単純に可愛いなって思いますし、私は日本の女性の顔でトレンドや可能性を探りたい。韓国とかも含めて、アジアの顔が好きなんだって気づきました」。
阿保さんが、資生堂ヘアメイクアップアーティストになって最も喜びを噛み締めた仕事は、誰もが目にしているあの広告の撮影。
「アネッサの広告で小松菜奈ちゃんを担当できた時は、やっぱり嬉しかったですね。もともと資生堂の広告をやってみたい!と思って入社試験を受けているので。広告って、ただ自分がやりたいメイクをできるわけではなくて。クライアント、出演してくださるタレントさんや女優さん、それぞれの要望を理解し、その場にいるみんなの合意点を探りながら、自分というフィルターを通してヘアメイクで表現する。技術はもちろんですが、コミュニケーションの取り方、信頼関係、すべて揃ってこそ良いものが出来ていく。大変な作業ですが、ずっと続けていきたいと思っています」。
教える立場になってみたら、自身のスキルも大きく飛躍
もっとも好きなのは撮影の仕事という阿保さんだが、転機ともいえる貴重な経験をできたというのが、SABFAでの1年間の授業担任。この担任を経験した2018年には、WWD BEAUTY HAIR DESIGNERS CONTESTでグランプリを受賞している。
「29歳から30歳、授業担任になると講師業務がメインになるので、最初は気が進まなかったんです。でも、いざやってみたらすごく面白くて。毎日のように自分のクラスの生徒全員のヘアメイクをチェックして、その場で手直しするという日々のおかげで、自分のヘアメイク技術もすごく上がりました。WWD BEAUTYのコンテストは、担任生活もあと数ヶ月というタイミングで挑戦したので、自分のクラスの生徒が全員、作品撮りを見にきたんです。なので、これは何か受賞しないと気まずいというか、結果を出さねばという気合いも入りました。コンテストのテーマが、自分にとってすごく腑に落ちるものだったので、そこにSABFAの経験がプラスされ、しっかりプレゼンできるものが作れて良かったです」
30代の折り返し地点を過ぎたばかりの阿保さんに、今後の展望について伺った。
「現在はマキアージュのカラークリエーションに携わっていますが、若い感覚が残っているうちに、可愛い化粧品をたくさん作りたいです。涙袋を強調する下まぶたメイクとかもそうですけど、メイクアップの流行はネットから上がってくることもあるので、仕事や育児の合間、時間があるとTikTokなどで女の子達のメイク観察をしてますね。これからもいろいろな事にチャレンジし、表現の幅を広げていきたいと思っています」
Photography: MAYUMI NISHIGORI
Text:KUMIKO ISHIZUKA