〈KATIM〉クリエイティブディレクター・小坂英子が生み出す長く愛される靴 前編

記憶を辿り自らの言葉で語る。クリエイターのこれまでとこれから。


KATIM 代表・クリエイティブディレクター・小坂英子さんにインタビュー。自身のバックグラウンドやアパレルを生業とするようになったきっかけ、『KATIM』についてや靴へのこだわりなど、前後編に分けてたっぷりお届け。後編はこちらから

痛みや疲れを伴う道具が 素敵な靴になるとき

“機能美と造形美の相乗効果”を追求したフットウェアを展開する『KATIM(カチム)』の靴は、洗練された美しいデザインはさることながら、その歩きやすさに感動をおぼえて虜になる人も多い。そんな靴を生み出すクリエイティブディレクターの小坂英子さんに、まずは“素敵な靴は素敵な場所へ連れて行ってくれる”という有名なフランスの言い伝えについてどう解釈するかと問うと、次のような答えが返ってきた。

「靴は、歩くための道具という側面を持ち、身に着けるファッションアイテムの中で、唯一痛みと密接に関わっているアイテムだと思います。一瞬、高級な靴を履いて写真にうつるだけだったらいいけれど、“連れて行ってくれる”という言葉のなかで表現されている通り、靴は外に出てどこかへ向かうためのものでもある。その時に、靴のせいで足が痛ければ、素敵な歩き方にもならないし、もしかしたら痛くて目的地まで辿り着く前に歩くことをやめてしまうかもしれない。靴を履く人のことを思って作られていること、歩行具としての役割もちゃんと果たしていること、仕立ても良いから見るだけでも嬉しくなること、これらが三つ巴になっているものこそ、良い靴といえるのではないかと考えています。颯爽と歩いている人と痛そうに歩いている人、どちらが良いことに出会う可能性が高いか、ということ。また、やはり靴にはフェティッシュな部分もありますので、道中で自分と感性の合う人が靴をきっかけに話しかけてくれたり、興味を持ってくれることもあるでしょう。良い靴を履いていれば、自分らしく行きたいところまで歩いていける、そんなふうに私なりに解釈しています」

KATIMのシューズは、きっと今、世界の誰かにとっての素敵な靴として、足元で佇んでいるだろう。さて、そんなブランドを立ち上げた小坂さんとはいったい、どのようなバックグラウンドを持っているのだろうか?

「両親の出身は東京なのですが、4歳くらいまでイギリスで育ち、そのあとに父の仕事の都合で中学3年まで長野のリンゴ園に囲まれた環境で育ちました。小学校を卒業する頃に母がティーン向けのファッション雑誌を買ってきてくれたり、ケーブルテレビでMTVやティーン向けの海外ドラマを観たりしていたことが、いちばん初めにファッションを意識した記憶です。『CUTiE』や『Zipper』の青文字系雑誌もよく買って読んでいました。高校からは代々木八幡に住んでいたので、原宿や下北沢、渋谷によく行って、街ゆく人からヒントを得ながら、似合うものを追求してすごくたくさんのトライアンドエラーをしてきています。それで学生時代のアルバイトもアパレルを選びました」

KATIMの洗練された世界観を思うと、ぴたりと正確にファッションの道を歩いてきたようにも見えてしまうが、意外にも様々なファッションに挑戦しては失敗したりすることも多かったという。そんなおしゃれ好きの女の子だった小坂さんが、アパレルを生業とするようになったきっかけは、学生時代のこと。

「大学時代に1年間留学をして戻ってきて、卒業する頃にはちょうど就職氷河期。当時、原宿のキャットストリートにあるメンズのスケーター向けのショップでアルバイトをしていました。思えば、毎日原宿にいたこの頃に履いていた、古着屋で買ったスノーブーツが私にとって思い出深い一足。それを履いてるとよく話しかけてもらえたり、自分がちょっとだけ特別な子に感じられて、誇らしげに履いていたのを思い出します。仕事上の良い出会いにも導いてくれた気がします。それをオマージュしたAPPLELINEというスノーブーツをKATIMでも作りました。そんな時期に、とあるアパレル会社にスカウトをしていただいたことがきっかけで、そこで大学卒業後も新卒として働くことになりました。海外にいた経験が活きて、当時は私のようなレベルでも英語が話せる人材は珍しいということもあり、海外営業を担当していました。途中から生産部門に回って、ブランド戦力の主軸だったシューズの分野で工業的に靴を作る工程を学ぶこととなりました。その後、何か自分でやりたいと思った時に、シューズの知識があったのと、自分がものすごく散歩好きなこともあって、靴を作ろうと思うように。ドイツ式整形外科靴学の知識も勉強して身につけて自分のブランドを持つためのスタートを切りました」

アパレルで働く過程で、シューズ分野に傾倒することとなったのち、独立することを選んだ小坂さん。洋服好きでもあった彼女が、靴を選んだ理由はなんだったのだろう?

「普遍的な要素がある靴は、履かなければ出かけられないし、痛みを伴うことがあるということは、流行が移り変わろうと変わらないこと。そこに軸を持って、靴を作ろうと決心しました。また神経質な話になってしまうのですが(笑)、靴は洋服に比べて足に密着している身体的距離が非常に近いもの。他には例えば、ホチキスとかハサミとか、ブラジャー、ウェットスーツなど、しっかり身体に密着させないと機能しないものって、人間そのものの形が変わらない限りは、形の振り幅があまりないと言われているんです。そんな普遍的な形であるという側面も、靴の持つ面白さのひとつかなと思っています」

自分自身のためのシューズ KATIMの幕開け

こうして、自身のシューズブランドをスタートさせた。耳ざわりも良く、口に出しても心地よい、どこか日本的な印象もある『KATIM』という名前には、こんな想いが込められた。

「まずは商標の取りやすさを考えて、造語にしようと決めていました。基本的に人が歩くときは、かかとから着地するヒールストライク、つま先まで抜けて踏み出すトーオフの繰り返し。靴を履いてるとその時にカチンっと聞こえるフットステップの音をイメージして、アルファベットを組み合わせた『KATIM』という言葉に辿り着きました。あとは勝ち虫、つまりトンボという意味も。まっすぐ前に進んで飛んでいく姿が縁起がいいという、験担ぎ的な意味も理由のひとつです。ブランドのターゲット像でいうと、年齢・性別の話はずいぶん初期の頃に手放しました。今、言葉にするならば、“人の目を意識しないという意味で、自分自身から見たときに、凛とした佇まいをイメージすることができつつ、精神的な自立を良しとしている人”に向けたフットウェアを意識しています。履く人に委ねるという言い方をしてますけど、こちらで履いてほしい像を決めるのではなく、手に取った方が履き方を決めるのがいちばんいいと考えています」

履く人のライフスタイルになじみながら、愛着と美しい風合いが増していくシューズの生産背景には、手作業によって丁寧に作り出されることも関係している。ただ、その手作業についても、取ってつけたようにこだわっているわけではない。

「手仕事にこだわっているというよりも、作りたい靴に手仕事が必要だった、というのが事実です。足は歩くときにものすごく形が変わるもの。体調によってむくみもあるし、妊娠すればサイズも変わりますし、夏と冬でも全然違う。もはや、一瞬その形になったに過ぎないと言ってもいい。歩くとき、常に形状が変化する足を包む靴を可能な限り負担が少なくなるように作るなら、例えば、釣り込みという工程の時に機械で均等に圧をかけすぎてはゆるめるべきところがゆるまらず、結果痛い靴になってしまうことがある。そうであるならば関節に当たる部分は手釣りで、というのが自分たちの作りたい靴だったんです。また、長く履いてほしいという想いから、経年劣化や履きジワが入ってきても美しく見えるようにパイピングを入れる位置、ラインを入れる位置は足が屈曲した時のシワを考慮したところに入れたい。その意図を理解し、より良いものが仕上がるようにリードしてくださるのは、熟練の職人さんでないと難しかった。ただ、熟練の職人の方々にまずは出会うことが非常に難しかったですし、その方達に出会えても仕事を受けていただけるとは限らない。それがいちばん最初に苦労したことです。あまりに大変すぎたので、もうその当時のことを記録してもらった写真集を出したほど。でも、この経験があったからこそコミュニケーションを取ることの大切さを再認識できたことは大きな収穫でした。その方の技術の価値を正当に理解した上で、作りたいものにその技術が必要と感じていること、その上でデザインディテールやなぜその素材を使用するかの意図を伝え、知識やもっと効率的に目指すものを作るアドバイスをもらう。例えば、機械で効率よく作ることができる部分は適切に利用して、手作業が必要な部分には熟練の職人の技術と手間を惜しまずかける。そうして出来上がる靴はその手間に見合った雰囲気に仕上がります」

この手間がかけられた靴を長く愛してもらうため、小坂さん自らシューズのケアを担うことも。KATIMメンバーとともにツアーと称して卸先を巡回していると、日本の女性が自分で靴の手入れをするようになるにはあと30年かかるという話を耳にすることもあったという。それを受けて、小坂さんはポップアップイベントで新品の靴のみならず、持ってきてもらった靴をその場でメンテナンスしたり、中敷きを調整してフィッティングしたりと、メンテナンスの必要性を伝える機会も設けているという。

ただ、ケアしながら長く育て付き合う靴、そしてその作り手が、必ずしもトレンドを嫌っているわけではないということを、こう説明する。

「トレンドについても、意識していないわけではないんですよ。私自身、ファッションも好きなので。言語化が難しいのだけれど、トレンドをなぞらえることに重きを置いてないというよりかは、KATIMでは送り出すものが、長く履きこむことによってその人との親和性だったり親密さが深まっていくようなシューズであることを目指しているため、トレンドに重きを置いてしまうと、どうしても大量生産型でワンシーズンで履き潰す・消費するというような生産方法になるので、それを前提とした作り方を取り入れていないということなんです」

小坂英子

KATIM 代表・クリエイティブディレクター。国内外のアパレルブランドで海外生産管理、海外セールス、デザイナーアシスタントを経たのち、今日の大量生産ではなし得ないこれまでにないフットウェアをつくりたいという想いから独立。ドイツ式整形外科靴学を学び、2016年春夏より KATIM をスタート。


Edit: YUKA ENOMOTO
Text: TOKO TOGASHI

こちらの情報は『CYAN ISSUE 41 A/W 2024』に掲載された内容を再編集したものです。